私が理科教員になってから(5)〜中学の授業を担当して〜

苦悩は続いた どこまでも

教員になって8年目。
ようやく私は某女子中高一貫校の専任教諭となり、7年間勤めてきた。
学年としては高2・高3に所属していたが、中学生の授業も担当していた。
中学の授業はほぼ未経験だったので、慣れないことばかり。

赴任してからは2年連続で2年生を担当した。
中学2年生というのは特に一番難しいお年頃の学年のようで。
最初は高校生に授業をしていたときのノリで授業を進めていた。
適当なところで発問して、生徒とやり取りができていた。

しかし、時が経つにつれて「わからん」「YUM先生の授業は難しい」という言葉が漏れ聞こえてきた。
またこの時、授業が非常に上手な先生と同じ学年でコンビを組んでいたので、自然と比較されていた。

不手際も多かった。

準備をろくにせずに教室に入ってしまったことも多かった。

「先生のへたくそな授業のせいで理科が大嫌いになりました」という生徒からのコメントが提出物の片隅に書かれていたのを見た。

授業評価アンケートでも極端に評価が低かった。

担任・教科主任・管理職から何かと心配された。

もう自分はどうやって授業をしていいのか、何を教えればいいのかわけがわからなくなっていた。

といったように、結局2年間とも散々な状態のままで終わってしまい、この生徒たちが高校生になるまでは、距離をおいて接する羽目になってしまった。

ブレイクスルー

それから3−4年は他の先生のティーチングアシスタントとして、教室に入っていた。
そしてこの学校に赴任して7年目のこと。
とある先生の授業を拝見して「えっ、こんな進め方でいいの?」と突然思った。
というのは、日常では当たり前と思うことや、本当に簡単なことを問いかけるということであった。

それにならって私も実際に試してみた。
そうしたらビックリ!
一生懸命考えて、多く発言してくれるではないか!
私が最初に担当した頃とは大違い。
こうした問いかけを続けてきたからなのか、生徒は積極的に授業に臨んでいた。
本当に1年間ずっといい雰囲気のまま授業を進められた。
そして年度最後の授業で、こちらが何も言わずとも全員一斉に大きな声で

「先生、1年間ありがとうございました」

というご挨拶。
こちらこそ「本当にありがとう」と言いたいくらいだった。

問い立てから「主体的・対話的で深い学び」につながる?

今思うと、中学生の授業を担当し始めの頃は、「これくらいならわかってるよね」という前提で授業を進めたように思う。
しかし、このとき担当した生徒にとってはそれがハードルになっていたようで。
でも実は、もっとハードルを下げて、当たり前とされていることに疑問を持って(=問いを立てて)考える機会を多く設けることが大事だとわかった。
それが、この学校の教員7年目に担当した授業で功を奏したのだと思う。

※余談になるが、私がこの中学生に対する授業の方法は、学力が中〜下位層の高校生の授業でも、一般の大人向けの講座でも応用していて、どちらとも反応が良い。

「問いを立てて、話し合いながら考える」

実は理科という教科の本質であったりする。
さらに、現在の学習指導要領でいわれている「主体的・対話的で深い学び」の大元になっているのではないか。

私は高校生をメインにしているが、「問いを立てて考える」という活動をするにしても、科目によっては多くの知識を身につけていることが前提ということが多い。
だからこそ、高校生に「主体的・対話的で深い学び」に取り組んでもらうには、良い問いもしくは考察テーマを多く立てることと、そのための教材研究が重要かと今では思う。

中学生向けの授業ノートづくり

ちなみに、私が中学生向けの授業を担当した際、左ページには実験や考察課題を綴ったプリントを貼り、右ページでは生徒自身で知識を整理するという形でノートを使っていた。
(この形式は教科全体で統一され、生徒にも同様の指示をしていた)

画像
骨と筋肉の単元
画像
動物の進化の単元

私も生徒と同様の形で授業ノートを準備していた。
写真の右隅には、青い字で生徒への問いをメモしている。
また、プリント&ノート全体で問い立て・ノートまとめ・課題への取り組みなどについては番号をつけ、その順番に授業を進めて来た。
授業の流れによっては、その場で問いが生まれることもしばしば。
それらについても生徒どうしで考え、ノートにまとめることもある。
こういうところが面白いんだけどね。

以上、中学生の授業を担当して得たことについて、薄い内容でダラダラと綴りました。
このような駄文でもご一読いただきありがとうございます。