私が理科教員になってから(1)

はじめに

新シリーズ「私が理科教員になってから」を始めました。
弊社代表が教員生活を続ける中であった紆余曲折を、人に言える範囲で赤裸々に記載。

大学に6年間通った後、高校の理科の教員として就職はできた。
しかし、正直な話、この10何年の私の教員生活は波乱万丈の繰り返し。
情けないくらいの失敗・挫折・苦い経験をどれだけ繰り返してきたことか。
その中でも学んだこと・成長・喜びもあった。
このシリーズでは、カミングアウトできる範囲で私の遍歴を長々とダラダラと、気ままに綴っていこうと思う。
ただ、どちらかというと苦い経験を綴る方が多くなるかもしれない。
振り返るのがどうしてもしんどくて綴りたくないテーマもある。
ただ、これから教員を志す人や、教育にご関心のある方にとっては「こういう現実があるんだ〜」「こんなふうになっていけない」と思いながらご笑覧いただけるだけでもありがたいです。

さて今回は、私の教員1年目の振り返り。
まずは初任校での情けなかった自身のことをつらつらと。
すでに波乱万丈でございました・・・

「ソフトボール部の顧問をやってください」

何とか某高校の理科の常勤講師(会社でいうところの契約社員)として就職はできた。
大学卒業間際の3月、その学校より「ソフトボール部の顧問をやってほしいので、打ち合わせに学校に来てほしい」というお達しが来た。

え゛、ソフトボールの顧問Σ(゚д゚)!

スポーツ全くダメなんですけど・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

そして、その学校の先生から一言。
「うちの学校では若い男の先生は運動部の顧問をやることになってますので・・・」

・・・って、誰が決めたんだよ、そんな事?!

ということで3月に学校を訪問し、顧問の先生と打ち合わせ。
この学校のソフトボール部は、当時県大会に行けるか行けないかギリギリという程度の強さだった。
それで顧問の先生も体育科こともあって、強化指定クラブとなったんだとか。

そして練習を見学。
するとビックリ(゚д゚)!
グラウンドを見渡すと、私の出身校におられた体育の先生が陸上部のコーチをされていたのを発見!
私自身はこの先生に直接保健・体育の授業を受け持っていただいたことはなかったけど、私のことをご存知だったようで。
それでこのコーチと再会&挨拶。
その後このコーチとソフト部顧問、私の3人で談義。
話によると、既にこのコーチから、私についての情報が体育科の先生全体に伝わっていたんだとか。
このコーチ、現役時代は厳しそうな先生だったけど、話していると人柄も面倒見も良い方だったんだなあと改めて思った。
世の中は狭い。

そんなこんなで顧問を引き受けることとなってしまった・・・。

部活漬けの毎日

そして教員として正式に赴任してから、部活の練習にいよいよ参加することとなった。
最初はただ見ーてーるーだーけー♪
ただ、時として、生徒とキャッチボールの相手をすることはあった。
平日の練習は毎日19時位まではあった。
しかし、私はこれまで運動経験がなく、体力がついていかないとヤバいと感じていた。
それで生徒が下校した後、毎日のように影でこっそりグラウンドを5周ほど走っていた。
そのおかげか、当時の体重は65kgくらいになり、周りからは随分痩せたと言われ続けた。
肌の色も浅黒く、精悍な顔つきになっていたんだとか。

やがてノックも担当することになった。
最初は無我夢中、力の限り無理やりボールを転がしていた。
しかし、慣れていったせいか、何とか内野ノックはできるようにはなった。
手に豆ができ、潰して皮がめくれたことは限りなし。
ただ、外野ノックは全然だった。
ということで、生徒が下校した後、影でこっそり練習することになった。

土日・長期休暇中は練習試合&公式戦が毎回のように続いた。
それも踏まえ、審判の練習もした。

本当にこの当時は土日返上で、年末年始とお盆の時期以外は、毎日のように学校に出勤していた。
それで平日帰宅するのは大体22時くらいだった。
土日・長期休暇は8〜17時くらいまで部活につきっきりだった。
本当に学校へは毎日、ソフトボールをやりに行ったようなものだった。
今で言えばブラック部活に当たるのだろうか?
そんな中で自分はよくやってこれたわと今では思う。

肝心の授業は?というと・・・

グダグダでした。
本当に反省することばかり。
穴があったら入りたいくらい。
私の罪状は次の通り。

教科書に書かれていることの意味がわからないまま授業をした。

教科書や問題集の問題が解けなかった。

生徒の質問にうまく答えられなかった。

間違ってることも、さも正しいかの如く堂々と生徒に伝えてしまった。

当時の生徒の皆さん、本当にごめんなさい🙇
そして、周りの先生方にも多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。
なぜこんなことになってしまったか、原因をいろいろ挙げてみた。

気力がなくなり、教材研究を十分しなかった。

時間管理ができなかった。

自分の教え方で生徒が慕ってくれているという慢心があった。

思い起こすと本当に情けないことばかり。
やっぱり授業がきちんとできてこその教員。
そんなこんなで、教員になりきれなかった私は、最初の赴任校は1年で辞めざるを得なかった。

あの頃の私

私が最初の職場を辞めた後、ある方から私についてこんなご指摘をいただいた。

「大人になりきれていなかった」

今になって、本当にそうだと思う。
言い換えれば「周りが見えていなかった」のだろう

自分の都合を押し通し、他の先生をかなり振り回していた。

不誠実な行動で先輩の先生方にこっぴどく叱られた。

仕事のミスも多かった。

「学力に問題がある」とも言われた。

人に感謝ができなかった。

思い返せば、こんな状態でよくも学校で働けたなと今になって思う。
そこから10数年経った今、あの頃の苦い経験を経て、どれだけ自分自身が成長できているだろうか?
自分自身でもわからない。

初任校で教員を1年務めて退職したのは、家庭の事情によるものだったが、今になってよい選択だったと思う。
これを機に、いろいろと成長の機会があった。
それはまた別の記事にて。

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